2015年12月18日金曜日

2年目のジンクス

「2年目のジンクス」なんて言葉を聞くことがある。生活でも仕事でも1年目の好調期の後に訪れる不調の谷。個人的には中学2年につまずいて歯車が狂った記憶がある。思い込みの類かも知れないが、仕事にしてもその時期を乗り越えられるか否かによって大きなスランプとなり立ち直れないほどの谷間となる危険性をはらんでいる気がしている。勢いでなんとかなった1年目とは違い2年目は慣れによる気持ちの弛みや迷いが生じる時期なのではないだろうか。
 これまで何度も転職を経験しているので2年目については用心しているつもりではあるが、最近の状態を省みると意に反してどっぷりと谷間に落ち込んでいるのではないだろうかという気さえする。しかし、歩みを止めたり軌道修正して新しいことを始めたとしてもやがて2年目はやって来るのだ。

 今年は漫画やイラストを中心に創作活動を始めて2年目だ。その前の1年間もフリーでの活動をしていたと考えれば3年目となるわけだが、この2年とその前1年では気持ちの持ち方に歴然とした違いがある。同じフリーとは言っても仕事を依頼されて初めて仕事になるのと絶えず創作物を発表し続けて行くのとでは大きな違いがあるような気がする。言ってみればパッシブ(受動)とアクティブ(能動)の違いである。
 受動的であれば、闇雲に作品を制作する必要はないが、どんな依頼にも対応すべく常に技術を磨き知識を蓄積する必要があるだろう。そしてどんな依頼に対応出来るか発信して行く必要がある。デザインやイラストの著作権(財産権)も譲渡が前提になっていることも多いだろう。制作物については発注者の意図が鍵を握っているが、制作者が責任を問われることもあるという側面が否定出来ない。しかし、高い技術でオーダーメイドの制作物が出来るという大きなメリットがある。
 能動的である場合、基本的には何をどう表現するか制作者の意志によるが、仕事として取り組んでいる場合は需要を模索する必要もあるだろう。世の中の期待をあらかじめ把握している人などそんなに多くはないだろうし、むしろ社会の風潮に満足出来ないからこそ創作活動をしているのかも知れない。世の中にないものを生み出して是非を問う行為は矛盾を秘めているのだ。創作物の命運は制作者が鍵を握っているため著作権を堅持する必要があるだろう。


  noteのもくじを少しメンテナンス。いつかやろうと思っていたが、先送りになっていた。トップのバナーも時々差し替えた方がいいのかも知れない。今回はカテゴリ別のタイトル画像を追加。



 夜になってデータベースソフトと格闘。原因不明のクラッシュに悩まされたが、どうやらテキストや数字の属性や文字数に厳格であるため例外が紛れているとクラッシュするらしい。

 腕立て伏せ:105回

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