たとえば、SNSやサイト、そしてブログに至るまで言葉やイメージ、音楽などの知を吸い上げて成長している。発信者は自らの経験や知識を提供し、受信者は膨大な情報の中から必要な情報を抽出することで成立する。インターネット普及前であれば、書籍や新聞、テレビやラジオなどから情報を受け取っていただろう。限られた情報を不特定多数が受け取っていたことになる。この構図こそが著名人を輩出してきたのではないだろうか。この構図は現代も未だ成立してはいるが、インターネット上では不特定多数と不特定多数が情報を共有する構図になっている。そして共有された情報が知の集合体となる。必要な時に必要な情報を取り出すことが可能になっていることは間違いないだろう。朝刊の配達を待つ必要もなければ、放送時間を待つ必要もない。
そんなネット社会の中で技術やセンスを活かして収入に繋げようと言うのが、ストックフォトやクラウドソーシングの動きである。そこには写真やイラスト、デザインやコビーライトなど集積している。必要になったら膨大な作品の中から希望に近いものを選択したり依頼したりすれば良いのだ。無償で発信する場合と違って、作品を提供する側は厳しい現実に直面する。限られた人しか手に出来なかったツールを多くの人が手に取っているため、むしろ競争率が高くなっている場合もあるだろう。技術やセンスを駆使し時間を掛けて制作しても採用されなければ徒労に終わってしまう。それはネット社会で生計を立てる難しさの現れであると言えるだろう。
知は現実社会からネットへと向かっているにも拘らず、ネットの中での循環が成立しなければ大きくの人が行き場を失くすことになるのではないだろうか。
巨大な知の集合体の樹はどこまで成長するだろう。もしかしたら無限に成長するものではないのかも知れない。あらゆる知識が共有され飽和し臨界点に達した時、「知」という栄養を必要とするだろうか。
それでも人間は必要だろうか。
とりとめもなく作画。50代くらいの男性を描こうとして何度も行き詰る。水面の表情の描き方を模索。
夜、相変わらずデータベースソフトに手こずる。
腕立て伏せ:103回
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とりとめもなく作画。50代くらいの男性を描こうとして何度も行き詰る。水面の表情の描き方を模索。
夜、相変わらずデータベースソフトに手こずる。
腕立て伏せ:103回
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