2015年12月27日日曜日

雑念

 毎日、生活していれば様々に雑念が浮かんでは消える。どうしても悩まなくてはならないことよりはどうでも良いことが集中の邪魔をする。漫画を描くのにどうしてそんなに集中力が必要なのかと不思議に思う人もあるだろう。漫画とは言っても様々なので楽しんで描いている方もあるかもしれない。ボクの場合はまだまだ未熟者ということだ。
 ボクは描く時にあまり資料を見ることはない。もしかしたら知識のないものを描かないように迂回している可能性もあるが、物語を描きつつ必要なものがあれば持っている知識や想像力で補うことが多い。どうしても解らない場合だけそこから資料探しとなるわけだ。デッサンのためのポーズ集は持っているもののほとんど見る機会がない。どれだけたくさんのポーズが掲載されていても描きたいポーズがなければあまり参考にならないし、あればあったで自由が利かなくなってしまう。重要なのは脳内に人体モデルを持つことだと思う。脳内で360°回転させたりポーズを変えてみたりする。調子が良いと苦もなく浮かぶイメージが、集中力が足りないと糸の切れた操り人形のような不自然なポーズになる。良いと思って描いていても時間を置いて見返すとギクシャクしていたりすることもある。ポーズのイメージには写真を仕事にしていた頃の経験やデッサン教室に通っていた頃の経験が基礎になっている。いずれも充分な修行を積まず中途半端になっていることが悔やまれる。ここから先は今またひとつずつ積み上げて行かなくてはならない。
 物語がオリジナルであれば、背景も独自のものが必要になるだろう。ただ、克明である必要はないような気がしている。写真では背景をぼかすことで空気感や雰囲気を表現することが出来る。その手法は漫画にも通じるだろう。世界観の設定として克明な描写が必要であっても漫画の中でそのまま使用する必要はない。
 脳内の人体モデルにキャラクターを重ねて表情をつける。自然なポーズ、自然な表情、当たり前のような世界観の中に物語を展開するのだ。キャラがまだ安定していないことが悩みの種にはなっている。むしろ同じキャラを描いてしまうと広がりが無くなったとしまうようで自分自身が楽しめない気がしてしまうのだ。

 今日は、少しずつ描いていたイラストから作品に展開してみた。人物だけでイメージを描いて思ったより描けたのでスキャニングしてイラレでコマ割りし配置してみると5ページほどになった。台詞を配置して全体を見ると足りないコマが見えてくる。本来ならネームから展開すべきなので新しい試みかもしれない。
 冷静に眺めながら「これって面白いか?」と疑念が湧く。流れはあっても奥行きも広がりが足りない。絵も描き直さなくてはならないだろう。またボツかな…。

 若い頃もいろいろ悩みはあったが、制約のある中での悩みだった気がする。集中力がそれを凌駕していたのかもしれない。今は制約が少ない中で色々と考える。それが雑念になるのだろうか。
 そもそも漫画を描くということは、考えることがたくさんありすぎて雑念で出来ているような気もする。

 あ、牛乳買ってくるのを忘れてた。

 腕立て伏せ:105回

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