2015年12月22日火曜日

空間を描く

 今の漫画の描き方は、キャラクターを描いてから背景を描くことが多い。背景を描く際にキャラクターの部分だけ空白にしておくことが難しいので背景だけを描く場合もある。背景を先に描いてしまうと細部にこだわりたくなってしまうのでなかなか先へ進めなくなってしまうのだ。今はデジタルで合成することが可能なので背景とキャラクターを別々に描いて合成することも可能だ。ただ、分けて描くとさらに時間が必要となる。

 写真を始めたのは18歳の頃。それまでも母のカメラを借りて写真を撮っていたものの、OLYMPUS PENというコンパクトカメラだった。近年デジタルで復刻されたが、当時のOLYMPUS PENはハーフサイズカメラと言って24枚撮りのフィルムで48枚撮れることが魅力のひとつだった。プリント代は嵩んでしまうもののフィルム代は節約出来る。この発想はデジタルカメラのセンサーサイズの違いにも通じるかもしれない。ハーフサイズカメラを使っていたことで比較的気軽に写真を撮ることに親しむことは出来たが、やはり露出やピントや構図に気を配って撮影するのには物足りなかった。それは仕事として写真に関わることになれば必須項目だった。写真に親しむことは構図を考えて画面作りをするという点で絵画やイラスト、そして漫画と通じるものがある。直接関わることは出来なかったが、学校関係の卒業アルバムの制作は物語を紡いでコマ割りするという点で漫画にも通じる。当時はレイアウト用の台紙にプレントを貼付け、拡大率の指示など書き込んでいたようだ。その工程は後年になって関わることになるDTPにも密接な関係があるということに当時は想像だにしなかった。

 そんな写真との関わりの中で「空間を撮る」ことに関心が向くようになった。写真の場合は撮影する対象、漫画の場合は描く対象があって絵作りをするのが常であるが、具体的な対象のない空間を撮りたいと思うのだ。


 技術的には「構図の取り方」の問題ではないかと思う。しかし、何もない空間を撮影する時に必要となるのは「何を撮りたいか」なのである。具体的な何かを撮る時より強く意識する必要があるかも知れない。撮りたいものがある場合は少なからず撮影対象に依存している。しかし、具体的な撮影対象がない場合は依存することが出来ないのだ。

 この考え方は漫画を描く場合にも深く関係していると思う。真っ白な紙を前にして何ものにも依存出来ない所から始めなければならない。しかし、キャラクターや背景という対象を描くうちにいつの間にか何を描きたかったかを見失ってしまうのだ。どれだけ緻密に描いた絵でも画像処理でピンぼけの表現をするなどの勇気が必要なんだと思う。
 キャラクターや背景を描きつつも目指したいのは何もない空間を描く境地なのだ。

***

 年齢的に50〜60代くらいの世代をカッコ良く描くことが難しいような気がする。何度も描き直しては行き詰ってしまう。やっと少し掴みかけたのでスキャニングして彩色。もう少し肌に艶をのせた方が良かったと反省。お酒を飲む機会の多い幹部社員の設定であれば、赤味を強くした方が良かっただろう。光源も不規則になってしまった。スキャニングデータを諧調に分けて重ねる際にざらつきが生じる。彩色の際に上から色をのせることである程度抑えることができるが、そうすると逆に質感が固くなってしまうのだ。今後の課題は少なくない。



 腕立て伏せ:108回

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