2017年6月15日木曜日

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 晴れ。雲は多いようだ。毎週木曜日は身体がずっしり重く感じる。いつものように軽い体操や腕立て伏せをして身体を動かしてみる。

 入浴時に使う自家製の入浴剤が功を奏しているのか悪化しかけていたアトピーの症状が治りかけている。気温が上がればまた悪化するのだろうから一時的なものではあるだろう。

撮影:2011/06/16

 机に向かって少し作画に取り組んでみたもののやはり気分も体調も優れない。こういう時は気分転換を兼ねて買い物ついでに自転車を出すしかない。風は気持ちよく田んぼに甲高いキジの声が響く。
 携帯ショップに立ち寄ると大々的に新しいサービスを打ち出していた。ちょっと新しい機種を触ってみたが、iOSの画面に見慣れているとカクカク動く感じがMacとWinの違いに似ていて違和感を感じる。それに携帯会社のアプリばかりが並べられているのにも抵抗を感じた。機種交換の時は止むに止まれずということが多いので必要があれば乗り換えるかもしれないが、これだったらガラケーのままでいい…と思ってしまった。

 それからスーパーや産直の店などをハシゴ。最後のスーパーで食材を調達し、他に目立った収穫もなく帰宅。もう夕方になっていたので定例業務まであまり時間はなかったが、再度作画に取り組んだ。少し手を加えただけで自転車で走った疲れが出て撃沈。体を動かしたことが幾らかでも明日のためになることを願うばかりだ。

 変化のきっかけはいつも突然だ。進歩も成長もないような日でも平穏な時間は大切にすべきだろう。

 この世界に同じような趣味趣向の遺伝子が均等に散らばっているとしたらその遺伝子は集まろうとするだろうか。そのきっかけは競争かもしれない。あるいは協調かもしれない。そうして集まった者同士でなければ共有できない感覚があるのかもしれないと思ったりする。それは能力の優劣で決まるのはなく音叉が響き合う共振のような感覚ではないかと思う。

 生も死も幻想だとすれば世界そのものが意味を失くすような気がする。もともと意味などないのだという人もいるだろう。けれど、それで人生は楽しいだろうか。生きることでやり甲斐を見つけ、やがてやり甲斐のために生きるようになる。そうして紡いでゆく生命が無意味だと思いたくはないのだ。


プランク:60カウント
腹筋運動(Vシット):60回
背筋運動:20回
腕立て伏せ
1回目:115回
2回目:111回

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