2016年11月10日木曜日

枝葉

 曇り。今日も冷えている。少し雨がぱらついたもののそれ維持よう降らない予報だった。ここ数日、外出による運動が少ないので自転車を出すことにする。

 近所の公園は黄葉と紅葉が同居してちょうど見頃といったところだった。雨や雪が降ったので落ち葉が絨毯のように敷き詰められている。早速手持ちのカメラで撮って回った。欲を言えば晴れていれば紅葉の発色も良かっただろう。
 自転車を走らせると遠くの山ばかりではなく近くの山にも雪が積もっていた。昨夜は町にも降ったので当然と言えば当然。とけ残ったということはそれだけ気温が低いのだろう。盆地と山地の境界が比較的明確な地形なので雪が目の前に迫ってくるように感じる。


撮影:2010/11/11

 近所のショッピングモールに着くと寒い平日のせいか客足も少なめだった。エアコンも適度に調節されているようで歩くには程よい感じだ。陳列されている衣料品はすでに冬物。来店客も初冬の風情を感じさせる。
 歩くのが目的なのだからひたすら歩けば良いのだが、歩きながらの思考による副産物としてのアイディアが重要だ。そのアイディアのためを考えれば、ゆっくりいろんなものを見ながら歩いた方が良いような気もする。今日は公園で撮影した落ち葉の写真についてあれこれ考えながら歩く。
 デザインというものは通常クライアントがいて希望に沿うことが前提となる。希望の本質がなんなのかを知るために何度も打ち合わせしたり方法論を検討したりする。では、クライアントのない場合はデザインが存在し得ないのかといえば、そうではないだろう。


 例えば、赤や黄色に色づいたカエデの葉を見てデザインされているような感覚を覚える。シンボリックな葉の形は自然というクライアントの要望に応えた結果かもしれない。カエデという生命体が長い時をかけて自らをデザインしたとは考えられないだろうか。
 そんな風に考えれば、具体的なクライアントが存在しなくともデザインは可能なはずである。

 今回は思考実験の中で秋における「葉」の姿を考えてみた。
 一般的には紅葉と書く言葉は実際に黄葉であることも少なくない。それから落葉や枯葉…葉を中心にしてクロスワードパズルのように正方形で括ってみた。これだけの作業を出来るだけ滑らかに展開する。当初はそれぞれの文字や正方形に色をつけることを考えていた。実行してみるとどうにもしつこくて散漫な印象になってしまった。そこで出来る限りシンプルな構成にした。センター寄せのシンメトリーなデザインはシンボリックではあってもどちらかといえば楽な構成ではないかと思う。

 発想の枝葉を拡張し次の枝葉に繋ぐ。それが滞りなく展開できるようになるために多くの試行錯誤が必要となるのだ。

プランク:60カウント
腹筋運動(Vシット):30回
背筋運動:10回
腕立て伏せ
1回目:101回
2回目:102回

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