2016年11月12日土曜日

探査

 雨は上がって穏やかな晴れ。

 昨夜、寝入り端に夢と現の狭間を彷徨いた。
 知っているような知らないような既視感や未視感に翻弄されつつページを捲るようにイメージを追う。
 脳内にはどれだれの情報が詰め込まれているのだろう。図書館の本を手に取るように確認することができないばかりかデータのようにファイルとして見ることはできない。意識して辿ることのできる現時点で必要な記憶以外は暗い脳細胞の奥に格納されていても何ら不思議ではない。脳内に眠っている膨大な情報の中に熟成し取り出されるのを待っている結晶はないだろうか。



撮影:2007/11/13

 これから眠るというのに脳内探査を始めてしまった。強制的に夢を見るようなもので次々にイメージを辿る。ウトウトと眠りそうになりながら眠らない状態をしばらく続けた。そうしているうちにいつの間にか眠ったらしい。
 人は必要な感覚を磨きながら生きている。普段必要でない感覚は磨かれることもなく放置されることになる。それはおそらく必要な時にアレンジを加えて活動してくれることになるはずだ。

 必要のない時に意図を持ってその情報を取り出すことは可能だろうか。
 日常生活の中では運動したり散歩したり自転車で走りながらアイディアが降りてくるのを待っている。半ば受動的にアイディアが降るのを待っているのだ。このアイディアは天から降りてくるかのように感じこともあるが、もしかすると脳細胞の暗闇の中からフワリと浮かんでくるものではないだろうか。そうであれば、能動的に脳細胞の暗闇にアクセスすることで今よりアイディアの捻出が効率的になるかもしれない。もっとも情報量が多すぎて収集つかなくならないようにフィルタがあるのかもしれない。そのフィルタを通すのに時間が掛かるため受動的にアイディアを待つだろうか。

 せっかく晴れているのでしばらく前から考えていた散髪をすることにした。散髪はいつも浴室に新聞を敷いて自分でカットしている。後頭部がよく見えないので気がかりではあるが、多少の虎刈りは三日も経てばわからなくなるだろうし、そもそも髪型を気にしてくれている人もいないだろう。ちょっと切ろうと思って切りすぎてしまうのは毎度のこと。今回も一時間ほどかけて完了にした。

 運動不足解消と買い物を兼ねて外出。
 日暮れが早いので必要な買い物だけ済ませて帰宅することにした。
 今日は何を見て何を感じただろう。情報や経験は未知の可能性のために脳細胞の闇へ沈んでゆく。



プランク:60カウント
腹筋運動(Vシット):25+30回
背筋運動:10回
腕立て伏せ
1回目:108回
2回目:100回

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