2017年8月14日月曜日

熱中

 曇りのち晴れ。天候も良好のようなのでお盆ということで自転車を走らせてお墓参りへ出かけることにした。昨日、身体慣らしで少し走っていても遠出するとなると心配がないわけでもない。

撮影:2008/08/15

 時折強い陽射しが降り注ぎつつも風があり適度に雲があったので無事に墓地へ到着。お供え物が散らかって宴会でもしたのかと思うような状況になっていて唖然とした。どうやら前にお参りした人がお供え物を持ち帰らなかったようだ。墓地は猿も熊もいる山の麓にある。お供えだからと置いて行きたい気持ちはわからないでもないが、動物たちの宴会場になっては困る。

 珍しくボタモチを買ってお供えしたので持ち帰って帰りの道すがら食べて帰ろうと思った。うっかり箸をもらうのを忘れていたので手づかみで食べるしかないだろう。
 時々立ち寄る通りがかりの公園に自転車を止めて歩いてみる。夏休みとは言えお盆のせいか人は少ないような気がする。池のある比較的大きな公園なので歩くと結構な距離になる。池のほとりから山裾へ入ってみたところで足元をスルリとスマートなシマヘビが通り過ぎてちょっと驚いた。公園内とは言え既に野生動物の活動圏に入っているのだ。少し高い位置に東屋があったのでボタモチそこで食べることにした。小豆餡とずんだ餡の2つ入りだ。食べようとして手掴みすると大きなボタモチは思ったより餡が分厚くて掴みにくい。何とか持ち上げて口の中へ。昔は仏壇から下げたお供え物はご利益があると言われたのではなかっただろうか。そばに水道があったのですぐに手が洗えてラッキーだった…というより食べる前に気がつけば良かった。

 公園の元来た道を戻っていると草むしりしている人がいた。行く時にも気がついていたのでちょっと話しかけてみた。聞けば広い公園内を5人くらいで交代して整備しているという。雷雨の時でもなければ雨の日も暑い日も休んでいるわけには行かないそうだ。年齢的には年金を受け取っていても良さそうな気がする。シルバー人材センターからの派遣とかだろうかと思ったが、聞くのは野暮のような気がした。ただ、毎日の草むしりの仕事は気が遠くなるほど過酷に思えてしまう。
「熱中症に気をつけてくださいね。」と声をかけて別れた。

 その後で立ち寄ったホームセンターでは冷房のしっかり効いた店内で若い人がデスクワークをしているようだった。もし数十年後に広い公園の草むしりの仕事をすることになるとわかっていたら涼しい顔で仕事していられるだろうか。公園の仕事とて誰かがやらなくてはならないことだ。少子化に加えて過疎も重なるとすれは人手が不足することは目に見えている。

 未来が予測できれば準備もできたとしても幸か不幸かそれを知ることはできない。

 熱中とか熱血がもてはやされる時代があった。根性で夢を勝ち取るという発想が当たり前だった。それは子供から大人までの常識だったのかもしれない。だから「頑張る」ことも当然だった。時は流れて「頑張る」ことはとてもデリケートになった。応援の言葉に追い詰められて心身に変調を来たす人や命を絶つ人が注目されるようになったからだろうか。もしかしたらそれは昔からあったことかもしれないと思う。ただ社会常識の陰に隠されて表に出て来なかったのではないだろうか。

 頑張ったからと言って思い描いた未来が手に入るとは限らないのが現実だ。だからこそ今ある充実感や幸福感を見逃さないようにしたい。それは見えない未来のために準備することと同じくらい難しいことかも知れない。


プランク:60カウント
腹筋運動(Vシット):60回
背筋運動:20回
腕立て伏せ
1回目:112回
2回目:122回

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