読まないで積んだままの本があるので木製の棚に棚板を増設して収めてしまえば少しは広くなるだろうと思い構造を考える。専用の棚板を買おうとすると若干高いのだ。幸い板の部分は買い置きがあるのでサイズを合わせれば使えると考えた。そう、サイズが違うのだ。寸法に見合った細い木材を手に入れれば安価に済ませられサイズ違いの板を棚板として乗せられると見込んでホームセンターへ向かった。
木材のコーナーをしばらく眺めていたらちょうど良さそうな太さの木材を見つけた。ただし1820mmあるので自転車で運ぶには都合が悪い。うっかり長さを測るのを忘れて出かけたが、300mmくらいなものだろうと考えた。3分割して600mm程度にすれば持ち運ぶにも良さそうだ。カットをお願いすると50円かかるということなので以前から気になっていた加工用のスペースを借りてセルフカットすることにした。細い木材を切るだけなので大したことはないと思ったら備え付けのノコギリの刃が鈍っていてやたらに切りにくい。さりとて電動ノコギリを借りるほどでもない。若干手こずりつつも何とかカット。買い物を済ませて帰宅した。
撮影:2013/08/19 |
木材の必要な長さははちょうど300mmだった。太さもちょうど良いはずと見込んだのだが、実際に棚の支柱の溝にはめ込もうとするとほんの少しだけ太かった。試しにノミを使ってみたりして一本削ってみると削りすぎてスカスカになった。これではダメだと思いカンナで薄く削ってみる。するとキツいくらいのぴったりになったので釘も木ネジもなしで大丈夫そうだ。その方が変更やバラす時にも便利だろう。無造作に積んであった本を収めて作業完了。こういうことをマメにできるよになると少しは片付くのかもしれない。
ここ何年もそういう心境になれなかったのだ。精神的に壊れているのではないかと思うこともある。自分自身をDIYして修復する必要があるのだ。
時折考える。生き方を間違ったのではないかと。正しいはずはないだろう。過去に想いを馳せ、記憶を手繰り寄せても決定的な間違いを見出すことができない。いつも最善の策を選ぼうとしてきたはずだ。むろん、たとえ見つけたところでもう手遅れだ。もし否定するとすれば、生まれた所から人生まるごと否定しなくてはならなくなるだろう。
若い頃は根拠のない自信と衝動に突き動かされていた。家族に迷惑をかけ、白髪が増えて、体調管理に苦慮するようになり、視力が衰えて来てもなお「描きたい」という情熱が残っているとすれば、それは一体どこから来るのだろう。
いつしか根拠のない自信を見失い、衝動は鎮まった…それでもなお「描きたい」という情熱の燃殻を拾い集め火を起こそうとしている。まるで生命の灯火のようではないか。
遺伝子に記された使命なのか、社会情勢に対する反応なのか、あるいは環境から受け取るメッセージなのか。衝動の根拠が無意識の深淵にあるなら抗う術などあろうはずもない。意識下の判断などさざ波のようなものかも知れないのだ。
…とすれば、衝動の燃殻は無意識の深淵へ探しに行かなくてはならないだろう。
プランク:60カウント
腹筋運動(Vシット):60回
背筋運動:20回
腕立て伏せ
1回目:120回
2回目:121回
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