2017年8月17日木曜日

背中

 曇りのち晴れのち雨。秋を思わせるような涼しい日になった。

 隙間時間の活用を思い立ち実践するため普段考えていてなかなか実行していなかったことに思いを巡らせる。まず思いついたのは、毎日使っていた木製のまな板が汚れてずいぶんカビてしまっていたのでカンナをかけようと思い乾燥させたままになっていた。現在はプラスチック製のまな板を使用しているが、木製のまな板は実家を出る時に母からもらったものではなかったかと思う。毎日洗ったくらいではだんだん汚れてしまうのでたまにはカンナ掛けして表面を削る必要がある。カンナの使い方が下手で平滑に仕上げるのが難しいので前回はサボってサンドペーパーを使ったような気がする。それでもカビや汚れは落ちるとしても表面に細かい凹凸が多いとまた汚れやすくなるのではないだろうか。

撮影;2009/08/18

 父は木工の仕事をしていたので時折手伝いに駆り出されることはあった。それでも子供の頃なので大したことはしていない。それがまた退屈なので自宅でアニメでも見ている方が好きだった。現場でノコギリや金槌、カンナなどを使う様子を見てはいた。門前の小僧が習わぬ経を読んだからとて木工用の道具を使うとなると身体に覚えさせる必要がある。「跡を継ぐなら他所で修業して来い」と言われたことがあるが、その頃には既に他の道へ進もうと考えるようになっていた。

 まな板のカンナ掛けしながら父はカンナ掛けをしながら何を思っていたのだろうと想いを馳せる。耳に残るのはカンナが木を削るときのリズミカルな音。ノコギリの音や金槌の音も覚えている。その音に近づけることができれば良いのではないだろうか。

 気がつけば、涼しい日にも関わらず汗が滴っていた。そういえば父もそうだった。以前はすぐに疲れてしまっていたカンナ掛けが比較的長く続けられるのは毎日の腕立て伏せの賜物だろうか。最初はトラ狩りのようになっていたまな板の表面もカンナの刃の出し方を調節することで少しずつ解消できた。若干ザラつきがあるのは刃を研ぐ必要があるのかもしれない。そもそも板の目の読み方もよくわかっていないので逆目で削ってしまっているだろう。

 いつのまにか無心になってカンナ掛けをしていた。父の仕事は木製品なのにまるで鏡面のように仕上げられていたことを思い出す。真似することは難しかったが、カンナ屑が山のようになってしまったのでひとまず作業を終えることにした。

 もう父の背中に追いつくことはない。その技を受け継ぐこともできない。それでも木工のリズムがまだ耳の奥に残っている。


プランク:60カウント
腹筋運動(Vシット):60回
背筋運動:20回
腕立て伏せ
1回目:123回
2回目:120回

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