2017年8月15日火曜日

独自

 曇り。湿度はやや高いかもしれないが、涼しくて過ごしやすい。昨日の疲れもあると思うのでゆっくり過ごすことにした。

 毎日生活していればゴミは出るものの大したことはないと思っているとチリも積もれば何とやら。一応は集めてあるもののゴミ出しできるようにまとめなくてはならない。先送りにし続けていたので意を決して片付けることにした。いつの間にこんなに溜まっただろうと思いうんざりする。要するに毎日やるべきことをやってないということだ。

撮影:2010/08/16

 地球上の全動植物と同様に人間も長い年月をかけて進化してきたという。例えば、言葉、道具、寿命…それらは形態の変化というよりは脳の進化だったのかもしれない。様々な生物が形態の変化で進化を見て取れる。もっとも猿人以前のことを考えれば形態も大きな変化をしたのかもしれない。人類は猿人からの進化に注目されることが多いせいかそれほど大きな変化をしていない気がしてしまう。
 脳の進化は生活習慣に変化をもたらし文化や文明を構築してきた。そして長い歳月の中で独自の能力を発達させてきた。しかし、気候の変化や外敵から身体を守る衣服や住居がなくては生存することが難しくなったのではないだろうか。それらのほとんどは自らが作ったものではない。つまり脳の進化に対して身体機能は退化しているのかもしれないのだ。

 そんな進化の中で未開発の能力はないだろうか。人類が文化や文明を手に入れる前はそんな未来があることなど想像すらしなかったろうし個々の人生にとっては大きな意味を持たなかっただろう。そして人類という種はありえない未来にたどり着いているはずだ。それは現代にも言えることだろう。このまま文化文明が発展を持続していけば、ありえない未来が実現しているはずだ。それは想像すらできないような未来であろうし、個々についても思いもかけないの能力が眠ったままなのかもしれない。
 幸か不幸か既にあるジャンルやカテゴリの枠の中で競争することを余儀なくされる社会の中では個々の持つ独自の能力は評価されにくい。だからこそ意義があるとも言えるかも知れない。

 人類の寿命も昔は短かったらしい。原人の時代の寿命が10年だったとすれば現代人は一体何倍の人生を生きていることになるだろう。80歳を基準に考えるとすれば、現代人の20歳は原人の2歳半に相当するということになるのではないだろうか。言うまでもなく人生の長さが幸福の指標ではないとしても8倍もの長さの時間を生きているのなら出来ることも可能性も大きくなっているはずではないだろうか。その時間の中で独自の能力は見つけられないだろうか。そんな独自の能力が未来を創る種かもしれないのだ。


プランク:60カウント
腹筋運動(Vシット):60回
背筋運動:20回
腕立て伏せ
1回目:115回
2回目:122回

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