2016年9月4日日曜日

虚像

 晴れ。暑い日が続いているせいか体調が良くない。それでもなんとか努めて机に座るも捗るわけはない。
 以前住んでいた部屋でこれほど暑さを苦にしなったのは南向きの窓が大きくなかったからか、エアコンの効きやすい間取りだったせいか。もちろん気候の変化もあるだろう。

 人生設計をする上で、まずは勉強して進学し優良企業の正社員を目指すのが一般的なのだろうか。バブルの頃ならそれも悪くなかったかもしれない。もっともバブルの頃は一生フリーターでもなんとか生きられそうな雰囲気すらあった気がする。時代は変わった。ともすれば希望の会社で正社員として働くことだって容易ではない時代があり、そもそも正社員という立場が夢や希望のように語られる時代になろうとしている。

 少子化だから人手不足になりそうなものだ。人材の使い捨てスタイルは変えようとしても簡単に変えられるものでもないのだろう。何しろ「頑張る」とか「努力」という人の想いを利用している。
 頑張った先が崖っぷちだと知っていれば努力するだろうか。
 奈落の底に落ちて初めて気がつく頃には時既に遅し。後戻りしようにも崖っぷちは遥か頭上にある。

 どうすれば良かったのだろう。
 頑張ったはず。一生懸命やったはず。
 それが間違っていないとすれば、一心不乱に崖っぷちへ走ってしまったことになる。


撮影:2006/09/05

 現代の教育機関は少しでも早く安定した職業に就くために効率良く出来ているのではないだろうか。勉強を頑張ってスポーツを頑張って競争に勝ったものが次の競争に参加する権利を持つ。
 競争を嫌い、穏やかな人生を過ごしたいと願うことは企業にとっても社会にとっても不都合なのだ。
 何故生きるのかと疑問を持つことも不自然ではない。社会に適合するためだけに生まれてきたのではないのだから。それでも多くの人は順応するために努力し心をすり減らすことで生きる。

 社会構造についてボヤいてみたところで何ら変わりはしないだろう。
 ただ、これから人生設計を考える立場にある人は虚像を見破る目を持って欲しい。そして力をつけて欲しい。やりたいことが見えていないなら探して欲しい。
 やり甲斐を見出し頑張る時は、踏み止まる意志と撤退する勇気を持って欲しい。

 生きていれば色んなことがある。
 正解だと信じていたことが誤解だったりもする。
 生きているからこそ虚像が現れては消えるだろう。

 もしかしたら崖から落ちて初めて理解することかもしれない。虚像を見破る目を持つために崖から落ちるのかもしれない。しかし、崖が高ければ高いほど立ち直るのは容易ではないだろう。高い所へ向かわないのが正解だとしてもそれは叶わないことだろう。

 大切なことは何なのか考え続けて欲しい。


腕立て伏せ
1回目:87回
2回目:114回
腹筋運動(Vシット):30回
背筋運動:10回

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