2016年7月15日金曜日

伝授

 晴れ。起きるのが遅いのですでに気温は上がっていた。
 例によって運動不足解消のため外出。買い物があったはずなのに自転車を走らせているうちに何だったか忘れてしまった。パソコンで文章を書いているせいか、文字の忘れ方もひどい。漢字ばかりではなくひらがなも怪しいのではないかと漫画のネームを描きながら感じることがある。走り描きだからなおさらだろう。
「そうだ、マスタードを切らすところだった。」と思い出す。
 記憶は生きるために必要だ。記憶を失うことは何を意味するのだろう。


撮影:2010/07/16

 いつものコースをいつものように巡って走る。すると漫画のアイディアが浮かんだ。そのアイディアについて考えているとどうにもネガティブのような気がする。ハッピーでない漫画にしてしまうことは避けたい。しかし、浮かぶアイディアはどうもネガティブになりがちだ。仮にネガティブな描き出しであっても苦悩を打破するような展開が用意できればばいいわけだから上手くひっくり返すことができるのならネガティブ発進の方がいいのかもしれない。
 そんなアイディアがあるなら現実の人生でも迷ったりしないだろう…と考えてまたネガティブになった。

 産直の店ではスイカが出始めている。試食が出ているので食べてみると懐かしい味がする。少し甘みは足りないように感じたのはまだ出始めだからだろうか。
 生まれ故郷のスイカは子供の頃に食べたスイカと品種が違うはずなのに懐かしい気がするのは不思議だ。どうやらその食感を「シャリ感」と称しているようだ。口の中に入れた瞬間はしっかりした印象なのに噛んでみると一瞬の歯ごたえの後で口の中に瑞々しい果汁が溢れだす。上手い例えが浮かばないが、雪を踏みしめる時の感覚に似ているかもしれない。品種が変わろうともその感覚を追求していることが嬉しい。大切にしたい感覚を引き継いでいるのだ。

 作品だってそうではないだろうか。技術を駆使して表現したいものは言葉にならないような感覚なのだ。
 スイカを絵に描くとすれば、緑色に黒い雷のような縞模様で果肉が赤く黒い種が並んでいる絵になるだろう。けれど、本当に伝えたいのは食感であり味であり風味だとすれば作品の意味も変わってくるのではないかと思う。


腕立て伏せ
1回目:95回
2回目:108回
腹筋運動(Vシット):25回
背筋運動:10回

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