体調が優れないのはもはや通常営業かと思うこともあるが、ここ数日、緩慢さが増していると思いバイオリズムを確認するとちょうど低調期。普段は気にしないようにしているつもりでもこういうことがあるから侮れない。
撮影:2015/07/07 |
思いつきで行動するのはいつものこと。
今日は過去のデータを掘り起こしてみた。
1999年頃からインターネットの普及によって全国各地の人と知り合うことができるようになった。そんな中、名刺代わりにサイトを作り始めた。javascriptの知識がなくてもHTMLを少し理解できればサイトとしての形はできたし、OSやブラウザなどの環境によって表示が崩れたりするのでCSSはしばらくは使わないことにしていた。
写真や言葉やイラストなどやっていることは今と大差ない。まだブログのようなサービスはなかったのでサイトのコンテンツとして日記のようなものをアップする程度。それでも新しいことに取り組むことは新鮮で楽しかった気がする。そのうちレンタル掲示板などを利用することとになり少しはcgiのような知識も必要になった。
それからブログサービスが普及するようになり掲示板も少なくなっていった。インターネットの流行が変われば繋がり方も変わる。やがてSNSの登場でブログも徐々に少なくなってきたのではないだろうか。ボクも利用していたブログのサービスが終了となった。しばらく書けずに放置していたので良い区切りだったかもしれない。ネットにデータを置いておけばいつまでも引き継がれるというものでないことが少し残念でもある。そして、ブログのデータを引き揚げてそのままになっていた。言うなれば日記の類だから再び見る機会もあまりなかったのだ。
久しぶりにブログのデータを開いてみると今と大差ないような気がする。その時の環境や出来事によっていわば反射的に行動しているように感じる。おそらく同じ条件になったとしたら今だって同じ反応をするのではないだろうか。要するに進歩はしていないようだ。
過去のデータを掘り起こしたのには理由がある。
これまでアウトプットしてきたものの中に作品のヒントを探そうというのだ。いわば自給自作である。そうは言っても進歩していないのだし、過去のことから新しいことを見つけようというのも打算的な気がしなくもない。
そのうちデータのバックアップを取っていないテキストが気になり始めた。Web上のデータはセキュリティの心配こそあれ、万一に備えてシステム上のバックアップはあるはずだ。そう考えると自分のパソコンでクラッシュする方が心配ということになる。それでも検索したり編集したりということがネットに繋がっていないとできないというのは不都合があるかもしれないと考えてしまうのは、やっぱり頭が古いのだろうか。
思いの外データのバックアップ作業に熱中してしまい朝の不調が嘘のようだ。単調な繰り返しの作業には陶酔効果があって新しいアイディアを考えるのとは別の脳内活動となるのかもしれない。
2年ほど前のデータを確認しながら当時と同じことをできないかもしれないと思った。
情熱とか目的とかを見失い常に空振りを繰り返しながらも何も変わっていないというのも不思議なものだと思う。
腕立て伏せ
1回目:93回
2回目:103回
腹筋運動(Vシット):25回
背筋運動:10回
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