2016年7月7日木曜日

昇華

 曇り。比較的涼しい日。

 先日、何気なく本棚にあった本を手にとってみた。いつか読もうと思つて買ったのだとは思うが、ずいぶん長い間本棚にあったのでいつ買ったのか、それとも誰かにもらったのかさえ忘れてしまった。埃を払ってページを捲ってみる。冒頭に笑いについての分析がなされている。そもそもどんな風にして笑いに繋がるのか。多角的に捉えようとしていた。なるほどと思いつつ読み進めるとどうやら手品のようなものだと思えてきた。
 笑いには種も仕掛けもあってどう魅せるかがポイントだということ。
 日常生活の中で自然に生まれる笑いにタネも仕掛けも関係ないことではあるが、演者と観客。漫画家と読者と言った関係性の間では必要な考え方ではないかと思う。

撮影:2015/07/08

 最近、笑うことがめっきり少なくなっている気がする。笑わないわけではないが、人間関係が希薄だしテレビのお笑い番組を観てもピンとこないので笑いの感情が鈍化しているのだろうかと考えてみたりもする。
 昔からそうだったろうか。
 子供の頃に引越しを経験しているせいか、大勢の人の輪に入って楽しむということが苦手のような気がする。誰かが楽しんでいる様子を見て楽しむといったどこか傍観的なのである。もしそうだとすると漫画家としての大切な部分が欠落しているのではないだろうか。
 父は余計なおしゃべりを好まない人で、食卓を囲む家族団欒の時もピリピリとした緊張感があった。どうすれば和やかな雰囲気になるのか子供心に考えていた気がする。誰かを笑わせたり楽しませたりするのが好きなのは、そこに原因があるのかもしれない。当の本人にしてみれば楽なことではなかった。

 そして今、漫画の中の笑いの感覚をすっかり忘れてしまっている気がする。皮肉ったり揶揄したり賢いふりをするようなネタばかりが浮かぶのだ。何かすっきりとした笑いに辿り着けない。もっともそういう質の笑いが嫌いだったわけではない。落語などにも見られるように権力を振りかざしたり弱いものいじめをするような立場を笑い飛ばそうというような風潮は昔からあったわけだ。しかし、そういう作品を描こうとすればより高度な知識と圧力に屈しない精神力も必要かもしれない。また後味が悪くなるような作品にならないような配慮や工夫が必要になるだろう。難しいと言わざるをえない。
 おそらくそういう作品も一瞬のひらめきが元になるのだろう。

 午後、早めに買い物に出た。
 天候は不安定の様相だったが、幸い雨はまだ降っていなかった。スーパーの後でホームセンターを回り、普段履いている靴がずいぶんくたびれていることを思い出したので靴屋に入る。田舎町ではありつつもスーパーやホームセンターなどの商店に不便を感じないのはありがたい。デパートが撤退した時は寂しさのようなものを感じないではなかったが、最近の大型ショッピングモールの様子を見るにつけ時代の変遷とか栄枯盛衰というような仕方のないことだったのかもしれないと思う。さりとて購買力が急に上がっているわけではないだろうからどの店も経営は難しいのではないかとも思う。
 結局、希望の価格帯の靴は見つからず、デザインが気に入ったものもないので店を出た。
 いつものように近所のスーパーで締めくくって帰宅。

 毎日の出来事を漫画にしたらどうだろうと思うこともある。それで一日の出来事を思い返しみるとただ買い物をしてきただけなのでスーパーのレジが故障していて価格表示が出ていなかったことくらいの出来事しか思い当たらない。レジの人が「私みたい。」と言うので「いやいや、ボクかも。」とやりとりしたくらいだ。自嘲のような笑いでもアレンジ次第で作品になるだろうか。何かこう…閃きが足りないような気がする。


腕立て伏せ
1回目:91回
2回目:105回
腹筋運動(Vシット):25回
背筋運動:10回

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