「どうしてこんなことわかるんだろう」と自分で驚くことがある。
子供の頃に好きで見ていた図鑑に載っていただろうか。それともたくさん読んだ本の中に書いてあったろうか。記憶を辿るでもない。不意に浮かんでくる感じはアイディアが浮かぶ時と似ている。
おそらくはこれまでの経験や知識が背景にあって条件反射的に結論を導き出しているのだろうと思う。少なくても知るはずのないことを発想するほどの超常的な能力は持ち合わせていないと思うからだ。そう、きっと無意識の仕業なのだ。今の所は限定的な反応であり受動的である。能動的で積極的な反応に結びつけるためには、まだいくつかの段階が必要なのかもしれない。
撮影:2008/07/21 |
イラストや漫画を描こうとして頭の中のイメージを探る時、意図したイメージとは違うものは否定しているのではないだろうか。何かテーマを設けている時などはその傾向が強くなるだろう。否定を繰り返すことでより意図に近いイメージを選択しているとはいえ、否定ばかりを続けることで無意識が疲労したり消耗したりすることはないだろうか。無意識とはいえ、自らの一部なのだから成功体験もなく否定され続けたらやる気がなくなるのも当然ではないかと思う。それでは無意識に人格を与えてみたらどうだろう。その無意識にペンネームをつけるのもいいかも知れない。
「あとはお願いしますね〜。」
そう言って無意識の人格にバトンを渡す。あとはアシスタントとして無意識先生をサポートするのだ。おそらくこれまでないがしろにされ続けてきた無意識先生は最初戸惑うに違いない。
「いやいや、私がサポートでしょ。」
そう言って遠慮するかも知れない。何しろボクという存在に関してハンドルを握ることに慣れていないのだ。しかし、これまでだって二人羽織りのように背後からコントロールしてきてくれたわけだから出来ないことじゃないはずなのだ。むしろボクという意識より無意識先生の方が安全運転できるかも知れない。
考えてみれば、楽器を演奏する際に意識的に譜面の音符を確認しながら手足バラバラな動きができるだろうか。無意識に近い状態で演奏できるよう繰り返し練習するからこそ正確で表情豊かに演奏できるのではないだろうか。日常生活においても随所でそんな場面があるだろう。つまり無意識先生は不安定で頼りない存在ではなく訓練次第でとても正確で頼り甲斐のある存在であることがわかる。
無意識先生は、長い間繰り返し地道に努力をした人が味方につけることのできる頼もしい存在なのだろう。
昨日の作品はまた夏休みの少年のイメージ。釣りをしている状況の会話を切り取ってみた。彼が誰と話しているのか想像力を働かせてもらえると嬉しい。
腕立て伏せ
1回目:76回
2回目:102回
腹筋運動(Vシット):25回
背筋運動:10回
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