2016年7月23日土曜日

才脈

 晴れ。涼しい朝。

 金を採取する時は、川の流れの中の砂を篩(ふるい)にかけて砂金を採取するのだという。偶然金塊に遭遇することなどまずないし、金の鉱脈が見つかって採掘する権利も技術もあれば良いが、そんなことだって滅多にないだろう。
 自分の才能はどうなのだろう。もちろんボク自身も自分の無能さにガッカリすることがある。けれど、自分の才能だったら採掘する権利は自分にあるはずだ。あとは技術。まずは掘ってみなくちゃわからないわけである。

 どうしても見つからなければ、砂金のような欠片だっていい。篩にかけて集めてみたら結構な大きさになるかもしれない。
 金脈・鉱脈・人脈…才能なら才脈。
 まずは才脈を探すことから始めることが必要だろう。

 作品を制作する上で圧倒的に技術が足りないことを痛感する。
 描きたいものがあったはずなのに掘り続けることができない。重機を使うべきところを手彫りしているせいかもしれない。作品のスケールが大きければ大きいほどそういうことに陥る。


撮影:2010/07/24

 以前、油彩の風景画で山を描こうとした時、これから描こうとする山に登ったことがないことが気になった。その山を描こうとすたるための動機や思い入れが希薄のような気がしたのだ。そのため麓で山菜採りに親しんだりしつつ2度ほど登山に挑戦した。標高もそれほど高くはないし遠目から見るとなだらかで穏やかな表情をしていた山は思っていた以上に険しく厳しい山だった。結局、2度とも登頂することはできなかった。そして膝を痛めたために山登りそのものが困難になってしまった。絵は未だに完成していないけれど、再びキャンバスに向かう日には、登頂できなかった悔しさや山頂への憧れ、そして麓に広がる豊かな自然に想いを馳せつつ絵筆を握ることになるだろう。

 漫画を描いていて描けなくなるのはまだ想い入れが足りないのかもしれない。
 1コマごとが新しい挑戦であるのに知らないことが多すぎるのだ。憧れの山に挑戦したように一つずつのエピソードや作画を紐解いて想い入れを確かめながら制作することが必要なのかもしれないと思った。


腕立て伏せ
1回目:85回
2回目:105回
腹筋運動(Vシット):25回
背筋運動:10回

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