出会いも別れも運と努力次第であるということを否定するわけではない。
しかし、その結果の相性はあらかじめ決まっていても不思議ではないのかもしれないと思える節がある。あらかじめ相性のパターンが決まっていてどんなにコミュニティを移動してもうまくいく組み合わせとそうでない組み合わせが存在するということだ。出会いの絶対数が多ければ、確率論的に相性の良い人と出会う可能性が高いことになるが、1/100ではなく99/100を考えてみたい。
例えば、職場の人間関係に悩んで転職したとする。環境が変われば人間関係にも変化がある。しかし、どういう人で構成されているかわからないのでこれまでの自分とは違うキャラクターを演じたところで意味がない、そこで様子を見ながら馴染む努力をすることになるだろう。ここで周囲が不動のものと考えるのは不自然ではないだろうか。おそらく気がつかない間に新しい仲間の受け入れ態勢が形成されていく。もしこのプロセスがどんな集団や組織でも同じだったとしたら、どこへ移動したところで悩みはつきまとうことになるだろう。何故なら受け入れ態勢は新しく加わった仲間の行動に対応して形成されるからだ。
これは確率的に見ようとしていることであって実際の統計をとったわけでもなく証拠があるわけでもない。実際には居心地の良いところやそうでないところはあるように思うのでメンバー構成によって当たり外れはあるのかもしれない。ただ、文字通り占いや賭けのようなことになりかねないのだ。
SNS等でも同様のことが言えるだろうか。コミュニケーションが必要な局面では同じような役割になってしまうことが多いような気がする。
99/100との関係性を構築するためにどうすれば良いのか。もしかするとその鍵を握っているのが1/100なのかもしれない。
撮影:2010/07/22 |
朝はなかなか食欲が出なかったが、昼過ぎて急激に空腹になったのでざるそばを大盛りにして食べた。その後また空腹感に襲われたが、カレーを作ろうと思っていたので調理を始めるとなんとなく忘れてしまった。
夕方になって買い物に出る。キノコ類を買おうと思っていたのに手に取ってみてから何となく先延ばしにすることにした。
帰宅して夕食は鶏カボチャカレー。時々食べるカボチャの種も美味しい気がするので種も洗って乾燥させている。
大きなまとまりのある作品を描こうとしてつまずくので、少しずつ紐解く感じで小編をたくさん描くべきではないかと思うようになっている。そこで作品にしようと思いつつお蔵入りになりかけていたカットに加筆して断片漫画にしてみた。少年時代の思い出は次第に遠ざかり色褪せていく。ただ懐かしいだけではない現在とのつながりについても意識したい。
腕立て伏せ
1回目:85回
2回目:108回
腹筋運動(Vシット):25回
背筋運動:10回
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