2016年3月13日日曜日

懐疑

 今日も晴れていた割に気温が上がらないようだった。
 土曜日のせいか気も緩みがちだ。
 3D制作が続いていたので気分転換も兼ねて机に向かってみた。案の定、調子が出ない。デジタルからアナログへのスイッチがうまく働かずシンクロしない感じなのだ。
 早々に断念して昼食を済ませ買い物に出た。今日も風が冷たい。
 うちの近所まで帰ってきたところ、住宅地の中の家庭菜園サイズの畑の隅にフキノトウがどっさり出ていた。すでに咲いてしまっていたから食べるにはちょっと時期が遅い。近所は田畑が多いが、野生のフキノトウとを見つけようとするとなかなか大変だったりする。どうしてもということならスーパーや産直の店ということになるが、やはり採りたての風味や新鮮さが恋しい。



撮影:2009/03/13

 以前は当たり前のように車を走らせて山菜採りに出かけていたが、当たり前ではなかったということを改めて思う。それでも冷たい風をかき分けて自転車を走らせればどこかに見つかるだろうか。

 帰宅してから少しでも作画を進めておこうと思い、また3Dソフトを起動した。工場の塀や門、外灯の制作だ。リアリティを考慮するする必要があるのであまり目立った造作をしてはいけないと思いつつ、ワクワクしないデザインというのは、やり甲斐を感じられない。外灯は車の窓の外に少し見える程度というイメージだ。
 考えてみれば、予算の心配もせずに工場の設計をしてしまうわけだから無用に敷地が広かったり外灯が立派だったりしてしまっているだろう。現実には設計と予算には密接な関係があるはずだ。だからこそ会社組織などのチームで取り組むことが必要になるのだ。そして効率を上げるために仕事は分業化され選択的に判断されていく。

 デザイナーというと特殊な仕事と思われがちかも知れないが、経理や総務や営業などの職種と同様に本来は組織にとって必要な職種ではないだろうか。何かの職種と兼務することも悪いことではなくても現代社会では様々な局面において出番があるように思う。どういうわけかそんな局面が軽視されがちなのだ。デザイン系の専門学校や芸術系の大学など専門的に勉強することが可能な時代なのだから社会側が受け入れ体制をとることができれば新たな流れを作ることが可能ではないだろうか。

 工場や車のデザインをしつつ、あらゆるものがデザインと無関係でないことを改めて感じている。様々なものをトータル的にデザインする立場のデザイナーがどれくらいいるだろう。現実には車のデザインにしろ建築物の設計にしろ様々なデザイナーや建築設計士が関わっているはずだ。必要なあらゆるものをデザインするということは仮想現実ならではの仕事であるような気がする。そう考えていたら全てのデザインを一度懐疑的に捉え直し新たな視点で様々なものをデザインし直してみることも面白いかもしれないと思う。
 
 新たな世界観や生活観が視えてくるのではないだろうか。

◇腕立て伏せ
 1回目:84回(首に痛みを感じて中断)
 2回目:103回

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