2016年3月14日月曜日

法則

 今日は朝から雨模様だったらしい。気温も上がらない様子。
 昨年末あたりから温めていた作品「虹色ティッシュ」を追加型漫画として少しずつ公開することにした。出来ればもう1ページ描いた状態から公開したかったが、グズグズ長引かせてしまっているので出来ているところから公開した方がいいだろうと考えたのだ。


 昔の人は「段取り八分」と言ったらしい。その意味では8割どころか6割がいいところなのではないだろうか。本来全編を一気に公開するつもりだったから見通しが甘い。場当たり的に膨らんでしまったことも否めない。

 午後から少しまた3Dソフトで車の作画。シートは描かなくてもいいが、ハンドルが必要なのだ。それからライトのデザイン調整に手をかけたが良い感じを掴めない。そのまま少し目を閉じて仮眠体制になった。するとふいにアイディアが浮かんだので起き上がって作画。集中力が続かないのは気温が低いせいだろう。
 夕方になって少し外に出るとやはり寒い。ショッピングモールを歩いてみると月曜日とあって来店客も少ないようだった。映画館の前で立ち止まると少し前に話題だった作品はもう上映されてないらしい。代わって新しい別の作品の紹介がされていて流れの外にいるような感覚になる。新しいアニメ映画は当たり前のように3Dである。話の流れはもう定番といった感じのようだったが、見ているうちに動作が面白くなってつい見入ってしまった。外れない作品を作るために研究されているのだろう。
 そもそも感性とはどんな風に育まれるのだろう。夕日が美しいとか花が綺麗だとかいった感覚はDNAに刻まれた先天的な感覚なのだろうか。それとも対象が何であれ感性の基本的な法則に適合した状況に遭遇した時に感動するのだろうか。では、その基本的な条件はどのように育まれるのだろう。
 たとえば、定番の作品ばかりが世に出るようになった時、感性はどのように育まれるだろう。本人は楽しんでいるつもりでも笑いや感動までもが支配されてしまうことにならないだろうか。
 ビッグデータや人工知能の時代を迎えようとしている。何がヒットし何がヒットしないか予測されるようになれば、多様性が失われるばかりか感動の幅が狭くなったりしないだろうか。

◇腕立て伏せ
 1回目:80回
 2回目:115回

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