2016年3月8日火曜日

無力

 風は少し冷たかったが、近所を自転車で走ってみた。オオイヌノフグリはもうあちこちで咲いている。庭にフキノトウや福寿草が咲いているお宅もあった。野生のフキノトウはまた見つけられなかったが、場所によってはもう食べごろなのかもしれない。

撮影:2016/03/08

 時に自分のあまりの無力さに愕然とすることがある。
 ボクが大切だと思っていることなど取るに足りないことだったんだと気づくのだ。ある意味では何かを大切にしていると言う想いに酔っているのかも知れないし依存しているのかもしれない。他に選択肢はないと自らに言い聞かせ、追い詰めている。気づけば欲求は義務へとすり変わり無価値なことに価値を見出しているのだろうか。
 よく言えば信念。悪く言えば妄信。

 正解などない。勝てば官軍なのだ。
 成功と言われる答えに辿り着けば正解とみなされ、我も我もと同じ扉に殺到する。しかし、言うまでもなく誰もが通れる扉であろうはずもない。だから自分が通れる扉を探す。場合によっては自分で作る。それが無謀なことだとふと我に返るのだ。



 ボクはいったいどこへ向かっているのか。
 この道は間違っていないのか。
 季節の変化を感じることで少し心がざわついている。


 漫画のために制作した3Dのカットをレイアウトしてみるとデジタルっぽさが明確に出すぎて違和感がある。キャラクターを配置した時に背景の方が目立ってしまいそうなので彩度を抑えるなどの編集が必要になりそうだ。
 その後、3Dソフトで樹木に挑戦…実は手間がかかりそうだったのでどうすればいいか思案していた。フリーのモデルがあることは承知しているが、樹木には表情がある。既に手描きで描いたカットもあるのだが、3D空間で完結した方が後々便利になる気がする。今回欲しかったのは冬木立のカットである。葉がない状態なので木立の樹形が目立ってしまうのだ。カイヅカイブキのような常緑樹にすることも考えたが、モコモコの緑というのも絵にしようとすると思うほど簡単ではない。いずれにしても芯になる幹が必要になるのでどう作画したら良いか考えていた。
 一つの方法論としてフラクタルのプログラムが利用できないかと思った。それには現在使用している3Dソフトで利用出来る必要もあるので簡単なことではなさそうだ。少し調べてみるとrubyを利用するなどの方法もあるようだ。残念なことに現在はrubyの知識がない。
 とりあえず、コツコツ描いてみようということで1本の木を描いてみた。人工的な感じは否定できないが、もう少し手を加えれば自然な感じに近づけるかもしれない。樹木には樹種によって対生や互生といった規則がある。そこまで配慮できればもっと「らしく」なるのかも知れない。現時点ではそれなりに見えることが最優先だ。



 無力なボクが出来ることなど高が知れている。
 せめて無心で取り組むことしかないのかもしれない。

 腕立て伏せ:100回

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