2016年3月30日水曜日

本物

 絵画ならもちろんのこと、工芸や陶芸など有名無名に関わらず出会った瞬間に「本物だ」と思うことがある。それはプロだとか専門家だとかいう基準を軽々と超えて心を鷲掴みにするのだ。どうすればそんな作品を生み出すことができるのだろう。切磋琢磨して研ぎ澄まされた刃のように輝やかせるにはどうすればいいのだろう。
 そもそも本物と感じるものはどういうものだろう。
 例えば、規格品と手製では手製の方に魅力を感じる。もちろん規格品が本物ではないという意味ではない。規格品は手仕事では成し得ない製品を作ることができる。しかし、手仕事は時として手仕事ならでは輝きを持つ作品となるのだ。

撮影:2010/03/30

 子供の頃に読んだ漫画には本物を感じる作品がたくさんあったような気がする。手仕事のはずなのに規格品かと思えような精緻な描写。シンプルな線でデザインされたキャラクター。3Dソフトなど考えもしない時代に漫画の物語の中には世界があった。
 それに比べて今のボクはどうだ。パソコンだの3Dソフトだのと文明の利器がありつつも世界は描けているだろうか。物語は描けているだろうか。

 昨日、散々悩んで漫画を1ページアップしたところだが、次ページに取りかかろうとしたら既に8割方出来ていることを思い出した。そう、このページから前のページを遡って描いていたから時間がかかったのだ。少し手を入れればアップできそうな気がしたが、本当にこれでいいのか少し時間を置いて見直すことにした。

 先日、八朔をモチーフにしたデザインをアップした後で追加しようと思っていた八朔丸ごとの写真と断面の写真を撮影。コンパクトデジタルカメラで白熱灯を使用して撮影。Macで色補正を施した。依頼されたわけではないので自由に制作したデザインを八朔を購入したスーパーに持って行ったらどんな顔をするだろうと思ったら少し楽しくなった。


 漫画の方は少し調整して明日アップできるのではないかと思う。
「本物だ」と言われるような作品を描けるような本物志向でありたい。

◇腕立て伏せ
 1回目:101回
 2回目:50回

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