2016年6月2日木曜日

研鑽

 昨夜の突然の雷雨は寒冷前線の通過によるものらしい。一夜明けて今日は空気が冷たく季節が逆戻りしたかのよう。近所の山に大きな雷球が落ちるのを見たという話もあるらしい。温暖化対策が活発な昨今、寒冷化説を唱える科学者もあるとか。資源は有限であるからイズリ石油に頼ることもできなくなるだろう。もしそうなったとすればかなり危機的な状態で寒冷化を迎えることになる。再生可能エネルギーを中心としたエネルギー改革はどこまで進むだろう。

撮影:2007/06/02

 今日は、既に用意してあるページレイアウトを意識して作画。鉛筆で描いてあった下絵を元に色鉛筆で彩色。ちょっと弱い感じだったので竹串に薄墨をつけてエッジを立てる。薄墨でエッジを立ててから水彩で着色の方がスマートだろうか。

 そもそも漫画は印刷技術と共に進化してきたのではないかと思う。モノクロが主流なのは印刷コストを抑えるためであり、薄墨を使用しないのも印刷で再現することが難しかったからだろう。代わりにスクリーントーンが利用されるようになった。細かい点や線などにより淡墨に代わって中間トーンを再現できるようになった。限られた選択肢の中でいかに豊かな表現をするかということで研究を重ねて来たのではないだろうか。

 近年ではデジタル技術の発達により表現方法は格段に増えたのではないだろうか。これまで限られた条件の中で新しい表現を生み出してきた流れとは事情が違う。モノクロからカラーになっただけではなくRGBで光の表現まで可能になった。無限に広がった可能性を全部試すことは不可能に近いかもしれないから最適な表現を選択していかなくてはならないということだろう。
 適切な道具で適切な作画技術を身につければ、汚れやノイズの少ない美しいデータを作成することも可能だ。一方で汚れやノイズなどがないことが物足りなさを感じさせてしまうのではないだろうか。そこで敢えてデジタル処理で汚しを入れて粗くしている。すると手描きのカットがいくらか写真のような雰囲気になる。出発点がアナログなのでデジタルデータにしてから汚れやノイズをクリアにすることは大変な手間がかかるという事情もある。そこで写真をデジタル処理して絵画やイラストのように加工する手法を逆利用して手描きのイラストをデジタル処理して写真調に加工するのだ。実在しない風景に実在感が加味されるのではないだろうか。





 夕方になったので例によって買い物のために自転車を出した。魚を手に入れたかったのでいつものスーパーに行くとブリとかアジなどの魚が目に入った。なんだかピンとこないので別のスーパーへ出かけた。すると小さめながら北海道産のカレイが二尾で88円になつていた。カレイを調理するなんてもう10年以上ぶりではないだろうか。自分で釣ったカレイを煮付けにしようとして醤油を入れ過ぎてしまい塩っぱくなってしまった苦い思い出がある。今日は薄味で…と思ったら薄すぎてしまった。これまた最適な分量を選択する必要がある。

 何事も自分のものにするためには絶え間ない研鑽努力が必要ということだろう。


腕立て伏せ
1回目:110回
2回目:110回

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