昨日、海の絵のカットを描いていたら水彩かアクリルで描いてみたくなった。水彩紙やスケッチブックがあったかもしれないと思って探してみたが、大抵はラクガキに終始している。まだ描いていないページを探したりラクガキを消したりしつつ「勿体無い事してきたなぁ」と思う。必要な時にスケッチブックがないとはなんという事だ。
賞味期限切れのように黄色くなったスケッチブックをなんとか見つけ出し、まだ描いていないページに海を描いてみる事にした。
撮影:2011/06/03 |
絵画は年齢とともに成熟するらしい。人生経験もさることながら他にも理由があるのではないか。若い頃に描けなかったものが描けるようになるのは何故だろう。そんな事を考えていた。もしかしたら細部にこだわらなくなるからかもしれない。ディテールよりも雰囲気を大切にしたい気がするのだ。
水彩かアクリル絵の具かで少し迷ってアクリル絵の具を取り出す。もうずいぶん前に購入したにも関わらずまだ使える状態だった。久しぶりなので試し描きの意味合いもある。小さなスケッチブックは経年劣化により紙面がガサついているので絵の具の浸透具合も場所によって違う。思うような筆運びができないもどかしさはデジタルでは得られない感覚だろう。海の波を描くために波頭を筆先のばさつきで白く残したり、重ね塗りして色に深みを出したり…デジタルのレイヤーで乗算などの透明効果を便利だと思っていたが、手描きでは自然にやっていたのだった。そんな風にしばしアクリル絵の具でスケッチブックと格闘した。
夕方になって外に出ると空気が冷たい。
少し離れた山に視線を移して驚いた。普段と見え方が違う。うまく言葉にできないが、存在感が違って見えるのだ。ずいぶん前に忘れてしまっていた感覚のような気がする。
脳は実に不思議だ。
例えば、出かけたことのある場所でも地図を描こうとすると分からなくなったりする。道順が説明できなくても実際に出かけてみると的確に道を選んで目的地にたどり着ける。まるで現場の風景に記憶を呼び起こすスイッチがあるかのようだ。
経験したことは脳が何かの形で覚えていて五感によって得られる情報が鍵となって起動するのかもしれない。それまでは眠った状態なのではないだろうか。
そう考えてみると調子が出ない時や行き詰まった時は過去に経験して夢中になったことに取り組んでみるのがいいかもしれない。そのことによって起動した記憶が脳の活性化に繋がるのではないだろうか。
腕立て伏せ
1回目:103回
2回目:103回
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