撮影:2008/06/04 |
活性を上げるためということで身体を動かそうと割り切って午後から外出した。ショッピングモールを散歩してお米が安くなっていれば購入して帰ろうかという計画。晴れてはいてもやはり気温は低い。麦の穂がホンの少しずつ色づいて風に揺れていた。
金曜日の日中ということでショッピングモールは人出も多くない。
書店では中学生風の姿が見られたが、今日は学校なかったのかなとふと思う。漫画雑誌はいつからかビニールの紐で縛られて中が見えないようになっているため、立ち読みする姿も見かけなくなった。肝心の販売数は伸びているのだろうか。
時々出かけているので顔を憶えた店員さんもいたりするものの用のないお店だったりするので話す機会もない。
散歩しながらアナログ作品のことを考えていた。色と色が混じり合って新しい効果を生み出すこと。相互に干渉し合うからこそ意図しない結果になって驚くこともある。一方でデジタルはレイヤーに分配することで相互干渉しないよう重ねることが可能だ。同一レイヤーで作業すれば、限定的に相互干渉させることもできるから意図に応じてコントロールすることが可能なのだ。
デジタルは相互干渉をコントロールできることがポイントかもしれない。意図するにせよしないにせよ計算で結果を導いているはずだからどこまで計算されているかが効果を結定しているだろう。
アナログの場合、意図的に偶発的な効果を誘発させて結果を制御しない面白味ということがある。それが意図を超える効果につながり思いもかけない感動を呼ぶのだ。
ショッピングモールを回ってそろそろ店を出ようとしたら商品展示のポスターに目が止まった。最近注目している俳優さんが大きな写真で商品を紹介している。吸い寄せられるように写真に近づくと、待ってましたとばかりに小さな紙コップに入った試食品を差し出したのは売り子さん。その紙コップを差し出した売り子さんの顔を見て「あ」っと息をのんだ。そこには5年ぶり会う知り合いが立っていた。以前は日に焼けて自由な活動をしているような印象だったので、日焼けの様子もなくメガネをかけ売り子さんスタイルの姿を目の当たりにして他人の空似かとも思った。恐る恐る確認しても相手もしばらく気がつかない様子。5年前の話をしたらようやく話が繋がった。ボクも相手の名前を思い出せなかったのだからお互い様だろう。そして「それにしてもどうして?」とつい訊いてしまった。すると「どうしてって…仕事だから。」と笑う。それはそうだ。愚問だった。
5年前…そう東日本大震災の頃である。あれから5年。お互い辿った別々の時間がある。あの頃は自由に振舞う様子が羨ましくさえ思っていた。その自由さゆえ、ボクの事など憶えていないだろうと思ったら「まだ自転車乗ってるの?」と言われた。そんなことが印象に残っているのだなぁと苦笑しつつ今も自転車に乗っていることに違いはない。
あの頃は進むべき道を模索する多くの仲間がいた。そしてやがてそれぞれの道へ進んで行った。お互いがその一人に過ぎなかったのだ。
人と人との関わりもデジタルだったりアナログだったりするようだ。当たり障りなくノイズのない関り合いで後味すら残さないこともあれば、干渉しあい影響しあって新しい色へと変化することもある。どっちが良くてどっちが悪いということでもないだろう。
混じって濁るなら干渉せずデジタルな関係の方がいいかもしれないし、進化・成長したいならアナログな関係で気がすむまでしっかり干渉し合う方がいいのかもしれない。
腕立て伏せ
1回目:103回
2回目:110回
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