2016年6月5日日曜日

意義

 山に登るのとに理由はいらない。
 そこに山があれば登るのだ。

 漫画を描くことに意味も意義も必要ないのかもしれない。
 それでも…と思う。一体、何のために、誰のために描こうというのか。自分が楽しければそれでいいという時代も確かにあった。だからもしかすると自分が楽しむための意味や意義を求めているのだろうか。
 仕事をするのは生活のためだけではないのと同様に描くことに対する熱量を維持するための燃料を欲しているのかもしれない。

撮影:2012/06/06


 今日もまずMacを起動してイラレのレイアウトデータに向き合う。
 本来ならイラレではなくInDesignだとページ管理が楽なのかもしれない。InDesignは画像管理ソフトではないし漫画用のソフトでもない。つまりは漫画用のソフトを用意すればいいのだろう。ただ、イラレをメインに使用していることを考えると新たなソフトの導入や習得が億劫でもある。実際、漫画で使える無料のソフトをいくつか試用しているもののどうにもうまく使いこなせていない。ペンタブを使っていないからなどという単純な問題ではないだろう。
 コマ割に配置したカットを眺めていて何となくイラレでカットを描いてみる。思った以上に収まりがいいのでそのまま描き進めてみた。手軽に図形やイラストを描くことができるのはイラレの利点だ。ある程度描いていると透視法を適用していないことが気になり始めた。デザイン的にシルエットのような扱いをしたかったのでむしろフラットに描こうと思っていたのだ。気になり始めるとやってみないと気がすまないので改めてそのカットを一点透視で修正。そのままではデジタル特有の綺麗すぎる画像なのでフォトショへデータ移行して汚しと劣化を試みる。やはりデジタル画像では限界なのだろうか。「手の跡」は再現できない。時間をかければそれなりになるだろうか。デジタルデータを汚すために時間をかけるのも本末転倒なので要するに手描きからやり直す方が良いということになる。

 改めて全体を眺めてその工程を思い途方に暮れた。毎日のように公開している人もいるというのにたかだか12ページを前にして怖じ気づいてどうするのだろう。
 思えば、毎日終電を気にしながらDTPに取り組んでいた頃は、とにかく作業するしかなかった。慌てようもないくらいの内容で分厚い書類を渡されて何週間、何ヶ月…先のことなど見通せず一つ一つ進めていくしかなかった。不要な電灯を消した暗い部屋でひたすら画面に向かっていた。
 少なくても今は自分の意思で進めなくてはならない。何週間、何ヶ月…完成した時をイメージして制作するしかないのだ。やり遂げることの難しい大変なことに取り組んでいるのかも知れない。

ゆえに作品に意味や意義を求めてしまうのだろう。



腕立て伏せ
1回目:106回
2回目:110回

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