2017年1月2日月曜日

初夢

 曇り。いくらか暖かい。

 1月2日は初夢とされ「一富士二鷹三茄子」は縁起が良いとされる。
 2017年の初夢は何かと思ったら暴れる夢だった。
 新人研修で何度も冷たくあしらわれたためだ。嫌な人を5~6回投げ飛ばし、それでも飽き足りずにオフィスにいた40~50人の社員に向かってミュージカルばりに大声で歌った。
 考えてみると投げ飛ばしたのはネガティブな自分自身だったかもしれない。オフィスにいた40~50人の社員もボク自身の様々な感情や想いなのではないか。

撮影:2014/01/03


 青虫が空を飛びたいと願ったとしてもせいぜい歩き回って一生懸命食べることしかできない。それは将来必要なこと。食べて動いて力を蓄えるのだ。
 昨日、初詣の際に厄年の解説に「八方塞がり」とあった。もしかすると厄年の時代というのは蝶で言うところのサナギに相当するのかもしれない。サナギの時代であるなら八方塞がりで当然だ。ただ力を温存しじっと冬が過ぎるのを待つのが肝要だ。
 人間は蝶ほど明確に身体の構造が変化するわけではない。継続的に動くことも可能なので社 サナギのような時期に関する会的な制度が整っているわけでもないのだ。そう考えると厄払いでは足りないことになる。社会的な構造として人間の生命活動の変化に対応する必要がある。
 いつかそういう研究が進んで少しは生きやすい社会になるだろうか。

 過去からの脱却。絶望から希望。蝶は羽化する時に蜜を吸う器官や空を飛ぶための羽を持つ。それは青虫の時代にひたすら食べた成果であるはずだ。少なくても青虫自身は将来花の蜜を吸ったり風に舞うことなど予想もしていないのではないだろうか。そんな未来を思い描くことにどれほどの意味があるのだろう。そんなことを考えさせられる。

 夢とは脳が寝ている間に記憶を整理する際に見るものらしい。
 ゆえに何の脈絡もないストーリーが展開することも珍しくないわけだ。それだけだろうか。何かしらの意味や暗示があるような気のすることもある。
 人間は自分の意思で行動決定をしているようで実は行動決定するより前に指示が出ているという。そう考えると夢が何かしらの暗示をしているとしても不思議はないのではないだろうか。

 新展という目標を掲げたことが影響しているような気がする。
 その目標すらあらかじめ予定されていたものかもしれないとさえ思える。サナギが蝶へと羽化するように…


プランク:60カウント
腹筋運動(Vシット):30回
背筋運動:10回
腕立て伏せ
1回目:105回
2回目:115回

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