撮影:2012/05/17 |
帰宅すると倦怠感に支配されてやる気が起きなかった。
何気なくチェックしたメールにストックフォトの販売通知を見つけた。一時は熱心に登録していたが、あまりに動きがないので販売実績のない写真を全て引き上げたほどだ。他にしっかりとした販売価格をつけてくれるサービスが登場した事も関係している。売れる売れないに関わらず写真の作品としての単価は一定水準確保されるべきだと思う。データ販売は安い価格設定になるという点は理解できないわけではない。それは販売数が一定数確保できなければ叩き売り同然ではないのだろうかとも思うのだ。交通費や機材、時間をかけて撮影しても元が取れないのであればわざわざ赤字を出していることになる。しかもユーザーの志向に合わせて写真を撮っているとすれば持ち出しのボランティアではないのだろうか。もっとも、著作権を譲渡せず独占販売しないでも良い点は良心的であるとは言えるかもしれない。
…とはいえ、販売の通知は嬉しい。しばらく忘れていたと言うこともあるし膨大な作品の中からよくぞ見つけて下さったと感激すら覚える。
そして改めて意欲を掻き立てられる。
過去に撮った作品を眺めているうちに何かが足りない気がした。他の人の作品のに感想を持つことはできても自分の作品を客観的に見ることは難しい。
基本的な技術であるピントや手ブレや画面の傾きをクリアしていれば、露出は後である程度なら補正可能な時代である。つまり逆に言えばそれだけではダメであるということは明白だ。次に問題となるのは被写体だろうか。そして飽きのこない構図や何かを連想させる構図…そんなところで自分なりの合否を決めてきた気がする。おそらくそれだけではまだ足りないのだろう。
写真は引き算と言われることがある。画面の中にあれもこれもと欲張って写し込むと何が言いたいのかわからなくなるというものだ。そこでできる限りシンプルに更生しようと心がけるのだが、その引き算に失敗すると実に淡白で面白みのない作品になるのかもしれない。
俳句や短歌のようにシンプルな中に多くの情報を盛り込み抒情的であったり愉快であったりできないものだろうか。差し引くことで痩せるのではなく豊かになる表現を目指せないものだろうか。
写真はさまざまな魅力を秘めている。よく売れる写真のテクニックやコツなどが紹介されるが、それは真似して真似できるようなものではなかったりする。みんなして真似し始めたらそのジャンルの競争は瞬く間に激化するであろうからその意義について疑問を感じざるを得ない。自分のできる範囲で工夫する必要があるような気がする。
プランク:60カウント
腹筋運動(Vシット):50回
背筋運動:10回
腕立て伏せ
1回目:105回
2回目:113回
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