2018年3月17日土曜日

余韻

 どこかへ出かけようかと思う爽やかな晴れ。

 昨日はほんの少し忙しかった。その余韻が残っているのかやや放心状態。何のことはない自分で立てた目的を実行しようとしただけ。そこにMacの不調などが加わった。お陰で作業は渋滞を引き起こし通常の業務を圧迫した。

 Macが操作不能に陥りブラウザを何度も再起動。イライラは募りストレスは増大。どこかに突破口はないかと思いつつもマシンスペックとネットの低速回線が問題となれば今すぐどうこうできる話ではない。これまでもそういう環境でやってきたのだから我慢するしかない。
 結局、遅れながらも普段やっていることをこなし深夜遅くなって床に就いた。

《ひだまり》撮影:2009/03/17
起きてぼんやりしていたら写真の撮り方に関する発想が浮かんだ。少し見方を変えただけなので新しい発想というわけでもないのだけど、量産のように取り組んできた撮影に深みを与える可能性があるものだ。昨日ねじ込んだ「やりたかったこと」にも関係している。

 これはもしかして「ストレス」と「イライラ」が脳を活性化させたからだろうかと思い当たった。長く続くストレスは弊害もある。しかしリズムのある緩急はエンジンになるのかもしれない。集中と解放が大切だとはよく言われることだ。
 締め切りはよく似た作用をもたらすのかも知れない。その締め切りが与えられたものではなく自分で決めたものであれば緩急のリズムを自分でコントロールすることも可能ではないだろうか。




 今日もストックフォトの申請をして昼食後に外出しようと玄関を出ると寒くて驚いた。ちょうど近所の人がいたので挨拶すると近隣の町では雪が積もったらしい。服装がやや春仕様だったので部屋に戻るか迷ったもののそのまま自転車を出した。
 ペダルを踏む度に冬の間に油切れを起こしたようにキィキィキュルキュルと音がする。帰ったらまた注油してみることにしよう。

 写真の素材がないかと思いながらいつもの店にあちこち立ち寄って回る。野菜は少しずつ安くなってきているようだ。それでも季節が変わったからといって品揃えがガラリと変わるわけではないから撮影の取り組み方を変えていく必要もあるだろう。
 行程の半分以上過ぎた所で自転車が軋む音が我慢できないくらいになった。最後のスーパーに自転車を止めて買い物を済ませ、また自転車に乗るとピタリと音が止んだ。ペダルの軸の部分のベアリングではないかと思う。帰って調べてみなくてはならないだろうと思った。

 産直の店にはもうフキノトウが並んでいても春本番にはまだ時間がかかるらしい。もう少し冬の余韻を味わうとしよう。


プランク:60カウント
腹筋運動(Vシット):60回
背筋運動:20回
腕立て伏せ
1回目:145回
2回目:150回

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