寒くて布団から出るのがなかなか辛い。眠りから覚める直前に水彩で壁の絵を描いている夢を見た。自分では結構上手く描けた手応えがあって描く楽しさを思い出した気がした。
それにしてもどうして壁なのだろう。扉や道の夢なら前に進めるだろうにと思う。好んで壁を描いて自画自賛しているとは愚の骨頂ではないか。
撮影:2010/11/26 |
現実の問題も同様なのかもしれない。
壁を描くのか扉を描くのか、あるいは道を描くのか。人によっては翼を描く人がいるかもしれない。それを無意識にやってしまっているのかもしれないのだ。
何も問題のないところに壁を描いたり急な上り坂を描いたりする。それは元々存在しないもののはずだ。
今日も例によって描き損じの裏紙を使って作画の練習。
以前描いていた絵はヘンテコに歪んで見える。それゆえに描き損じとして分類していたわけだ。描いても描いても歪みを矯正できなくて苦悶を続けた痕跡が描き損じとして残っている。今でもやはり迷宮に入り込んでしまうことはある。ただ、以前ほど混迷を極めることは少なくなった気がする。
いつの間に壁を越えたのだろう。いつの間に坂道を登ったのだろう。
ただその日をどう乗り越えるかだけが課題だった。壁も坂道も延々続いているように感じていたはずだ。
もちろん既に次の壁を描き始めているし坂道は続いている。
たった一時間机に向かっていられないのはきっと思うように描けていないからだろう。期待を込めて言えば、面白いように描けるようになれば否が応でも描き続けることになるのではないだろうか。長時間座っていられるようにするためには、描けるようになることが前提なのではないかと思えたりする。もちろん面白いように描けることが楽であることではない。好きであることも続けることで見失う。それでも続けるのは他に道がないからだ。
無意識に描いたであろう壁や坂道。それは架空のものであればこそ、まだ見ぬ未来の成長ための架け橋となる。
壁を描こう。坂道を描こう。その向こうに明日があるなら。
プランク:60カウント
腹筋運動(Vシット):30回
背筋運動:10回
腕立て伏せ
1回目:103回
2回目:105回
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