今日は、外へ出なかったのでよく分からないが、天候の変化が著しかった様子。西の方は暑いと言っているに北海道では雪だとか。その間にあって気象の変化が大きかかったのかもしれない。
2日ほど机に向かわなかっただろうか。鉛筆やペンを持たない日も大切なのかもしれないと言う意図もある。久しぶりにラクガキレベルから作画に取り組んでみるが、上達もしているわけはないしおかしなデッサンの狂いが抜けているわけもない。もっとも肩の力はいくらか抜けているかもしれない。先の見えない旅路は続いているのだなぁと思う。先が見えないから面白いなどと強がりを言う余裕もなくなりかけている。
冷静に考えれは描かなくてはならないものはいくらでもあるはずだ。それを作画レベルの向上を建前にしていつまで引き延ばす気なのかと思う。
描きかけていた下絵を取り出しては加筆修正するものの結局何らかの壁にぶつかって先へ進めなくなる。意思を妨げ、制限しているものは何だろう。つまらないプライドだろうか。
撮影:2009/10/21 |
漫画というものは描かなくては話にならない。
職業漫画家ともなれば生活するために描く必要性もあるだろう。結果的に定期的な発表が必要になりそれを楽しみに日々を過ごすファンもいるだろう。
一方で小説家や絵本作家はどうだろう。連載を持っている作家がいるとしても文庫本や単行本として書店やWebで出会い、その一冊を読者が都合のいい時に繰り返し読むことになるのではないだろうか。
もちろん漫画も単行本が出てから蔵書に加えて繰り返し読むこともあるとは思うが、作品の成り立ちが違うのではないかと考えてみる。
これまで漫画は出版社のスケジュールに合わせた制作や執筆が必要だったのではないかと思う。そしてそのことによって締め切りの必要性が生じ、何が何でも描かなくてはならない状況を生んでいた。それはもちろん良い場合もあるしそうでない場合もある。
それが今やWebで自由に公開できる時代である。出版社のスケジュールに合わせる必要もないわけだから締め切りも考えず練るだけ練って公開することが可能なのだ。
ところが、その挙句に作品を抱え込むことになる。そして何とか自信作を描き上げたら誰も見ていない状態でドカンと公開。せっかくの力作が空振りのようになってしまう。
打開策は色んな方法が考えられるだろう。
先に大作を公開してからマメに小品を公開し、閲覧してもらえる機会を作ること。または小品を公開しながら同時進行で大作を制作すること。他にも小品を積み重ねて大作につなげる方法もあるだろう。どれが正解でどれが間違いということもないかもしれない。それぞれが制作しやすい方法を模索する必要があるのだ。
個人的には小品を公開しつつ大作を準備する方法を取りたいと思っていた。その方が制作のモチベーションも維持できるような気がしたのだ。しかし、現実問題として小品だから手を抜けるというものでもない。つまり小品を描いている間は大作は進められないということになる。そればかりか小品を描いていて行き詰まる始末である。描きながら答えを探しているのが現実なのだ。
長い時を経て雨粒が石に穴を穿つように…長い時を経て鍾乳石が成長するように…とても気の長い話に思えてしまう。
目的を持たず、ただ愚直に描き続けることで果たしてどこに辿り着けるのだろう。
プランク:60カウント
腹筋運動(Vシット):30回
背筋運動:10回
腕立て伏せ
1回目:107回
2回目:120回
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