2016年10月19日水曜日

生命

 秋晴れ。快晴。

 朝起きると腰痛は幾らか緩和している気がした。昨日の自転車が功を奏したのだろうか。あるいは単純に天候のせいかもしれない。それでも身体を動かしたからだろうと気を良くして今日も外出。銀杏並木の紅葉チェックだ。

 季節の移ろいは気づかぬうちに野山を染めて街の装いを染める。
 昨日は曇っていたので敢えて足を伸ばさなかった公園へ向かう。途中の公園の木々は緑が残っているものの赤や黄色が鮮やかに映えていた。


撮影:2011/10/20

 自転車を走らせていると壊れた蜘蛛の巣に引っかかっている赤トンボがいた。もしかしたらもう息絶えてしまっているかと思ったが、手に取ってみるとまだ動くばかりか指にしっかりと掴まった。蜘蛛の巣の主人は見当たらない様子だったので糸を取ってみると長い時間宙ぶらりんになっていたせいか頭が取れかかっている。残酷のように見えても恐らく自然の中では当たり前の出来事だ。昆虫は頭に脳があるわけではないということを読んだことがある。脳に相当する細長い神経系が身体の中に伸びているはずだ。つまり頭を失うことが直接的に死につながるわけではないのだろう。もっとも食べることも見ることも出来なければ飛ぶことも出来ないだろう。救うことの方が残酷かもしれない。しかし、指にしっかり掴まっている小さな赤トンボの足の感覚は本能的に生きることを望んでいるように感じた。少し離れたところに咲いているセイタカアワダチソウの黄色い花にとまらせて別れた。願わくば生命がある間は楽しい夢を見て欲しい。

 銀杏並木に着くとまだまだ緑も多いものの前回より紅葉は進んでいた。銀杏の実がたわわに実っている。今年も豊作のようだ。早速写真を撮ったりしていたらウェディングドレスとタキシードのカップルが目に入った。カメラマンやアシスタントと思しき人が周りを囲んでいる。銀杏の木々を通した木漏れ日が降り注いでいて素晴らしい仕上がりの写真を予感させる。お姫様抱っこは少しばかり大変そうだったが、それも幸せのワンシーンだろう。

 目が不自由な様子の方の散歩に付き添っている方々も見受けられた。障害物も少なく広い通りなのでちょうど良いかもしれない。美しく色づいた銀杏並木を思い浮かべているだろうか。考えようによってはくさいだけの銀杏の実の匂いであっても記憶や空想の一助になるだろうか。

 公園の樹々は秋に染まり始めていた。穏やかな日和なので平日にしては人出が多い方だろう。こんな日和なら思索を巡らせるのにうってつけかも知れない。途中で購入したパンとコーヒーで昼食を済ませ軽く自転車を走らせて公園を出た。

 今日は、自転車の他に歩くことも目標にしていたのでショッピングモールへ向かう。よく考えたらそのまま公園を歩けば良かったわけだ。習慣になっているのでうっかりしていた。
 ショッピングモールの食品コーナーを歩いていると立派な人参が比較的安くなっていた。産地を確認したらオーストラリア産だということ。見た感じは立派で綺麗なので試しに購入してみることにした。それから歩いているとメガネの落とし物を見つけた。踏みつけられては困るだろうとインフォメーションへ届ける。靴屋に立ち寄って情報を聞いたりして外へ出ると夕暮れだった。



 繰り返す日々には喜怒哀楽がある。同じように陽が昇り陽は沈んでいても毎日表情が違うのだ。その大きな繰り返しの中で生命は何を見るのだろう。何を感じるのだろう。何を意味するのだろう。


プランク:60カウント
腹筋運動(Vシット):30回
背筋運動:10回
腕立て伏せ
1回目:108回
2回目:109回
備考:腰痛やや改善

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